こんにちは。
「さつき雨待ち人なくも三河島」と嘗て誰かが詠みました。
この句は梅雨時に特に待ち合わせもしてないのに、京成の新三河島駅に立ち寄って何となく誰かを待っているという意味らしいです。
まあ、そんな気持ちも分からないでもないのが、この荒川区ですね。
京成線沿いに北東に向かってひたすら歩いて行きましょう。
西日暮里から新三河島を経て、町屋に抜けるこのルートは荒川区の黄金ルートですね。
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都営荒川線の歴史について
開業期
- 1913年(大正2年)4月1日: 荒川線の前身となる王子電気軌道(おうじでんききどう)が、三ノ輪橋 – 飛鳥山下間で営業運転を開始。
- 1913年(大正2年)12月29日: 王子電気軌道が飛鳥山下 – 大塚間を開業し、三ノ輪橋 – 大塚間が全通。
- 1925年(大正14年): 東京市電気局(後の東京都交通局)が王子電気軌道を買収し、路線を市営化。
都電時代
- 1942年(昭和17年): 戦時体制下で多くの路線が統合・再編され、荒川線は都電の一部として運行されるようになる。
- 1960年代: 都電の路線網の大幅な縮小が始まる。高度経済成長期の交通需要に対応するため、バスや地下鉄が優先されるようになり、路面電車の廃止が進む。
- 1972年(昭和47年)11月12日: 都電荒川線が、都電の中で唯一全線が存続することが決定。他の路線は全て廃止され、都電荒川線は路面電車として残る。
近代化と再評価
- 1980年代以降: 都電荒川線の車両や施設の近代化が進む。新型車両の導入やバリアフリー化が推進される。
- 2017年(平成29年)4月28日: 愛称「東京さくらトラム」が制定される。この愛称は沿線に桜の名所が多いことから命名されたもので、観光客や地元住民に親しまれるようになる。
現代の都営荒川線
- 現在: 都営荒川線は、三ノ輪橋から早稲田までの全長約12.2 kmの区間を運行しています。全30駅があり、車両の近代化やサービスの向上が図られています。また、東京都の歴史的な路面電車として観光資源にもなっています。
特徴と意義
- 観光名所: 荒川線沿線には、飛鳥山公園や鬼子母神前、雑司が谷などの観光名所があります。
- 地域交通: 都営荒川線は、地域住民の重要な交通手段として機能しており、日常的な移動手段として利用されています。
- 文化遺産: 長い歴史を持つ荒川線は、東京の都市発展の歴史を物語る文化遺産としての価値があります。
都営荒川線は、時代の変遷とともに進化し続け、今なお東京都の重要な公共交通機関として存在感を保っています。
都営荒川線の終点である三ノ輪(みのわ)について
都営荒川線の終点である三ノ輪(みのわ)は、東京都台東区に位置する地域です。三ノ輪は歴史的な背景を持つエリアであり、交通の要所としても重要な役割を果たしています。以下に、三ノ輪の歴史や特徴について詳しく説明します。
三ノ輪の歴史
江戸時代
- 宿場町としての発展: 江戸時代には、三ノ輪は日光街道の宿場町として発展しました。現在の台東区の一部であることから、江戸城から近く、多くの人々が行き交う場所でした。
- 寺社の存在: 三ノ輪周辺には多くの寺社がありました。特に浄閑寺(じょうかんじ)は「投げ込み寺」として知られ、江戸時代の庶民の墓地として利用されていました。
明治時代
- 都市化の進展: 明治時代になると、三ノ輪地域は東京市の一部として都市化が進み、住宅地や商業地として発展していきました。
- 交通の発展: 明治末期から大正時代にかけて、鉄道や路面電車の整備が進みました。特に都電荒川線(三ノ輪橋停留場)が開業したことで、交通の便が大きく向上しました。
戦後
- 復興と再開発: 第二次世界大戦後、三ノ輪地域は復興が進み、新たな住宅地や商業施設が建設されました。特に戦後の経済成長期には、多くの人々がこの地域に住むようになりました。
現在の三ノ輪
交通
- 都営荒川線: 都営荒川線の終点である三ノ輪橋停留場は、地域の重要な交通拠点です。この停留場からは、東京都北東部の主要エリアへアクセスが可能です。
- その他の交通手段: 東京メトロ日比谷線の三ノ輪駅も近くにあり、都心部へのアクセスが容易です。また、バス路線も充実しており、交通の便が非常に良い地域です。
商業と生活
- 商店街: 三ノ輪地域には、多くの商店街があります。特に「ジョイフル三ノ輪商店街」は地域の住民に親しまれており、日用品や食料品を購入するのに便利です。
文化と観光
- 寺社: 浄閑寺や円通寺など、歴史ある寺社が点在しており、地域の文化的なランドマークとなっています。
- イベント: 地域の祭りやイベントも盛んで、特に夏祭りや年末の行事は多くの人々が参加します。
特徴と魅力
三ノ輪は、歴史的な背景を持ちながらも、現代的な都市生活が融合した地域です。交通の便が良く、商業施設や市場も充実しているため、生活の利便性が高いです。また、歴史ある寺社や商店街が地域の文化を支えており、温かみのあるコミュニティが形成されています。
三ノ輪は、東京の歴史と現代が交差する魅力的な地域であり、住みやすい環境が整っています。
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町屋の歴史について
江戸時代以前
- 古代・中世: 町屋の周辺は、かつては荒川の氾濫原で、農業や漁業が主要な生業でした。この地域には、古墳や遺跡が点在しており、古くから人々が住んでいたことが窺えます。
江戸時代
- 江戸時代初期: 町屋は江戸市中の北東に位置し、農村地帯でした。江戸の発展とともに、近郊農村としての役割が増しました。
- 名所旧跡: 町屋地域には江戸時代からの寺社が点在し、例えば尾久八幡神社などがその例です。これらの寺社は地域の中心として機能していました。
明治時代
- 明治初期: 廃藩置県後、町屋村は東京府に編入され、行政区画の一部となりました。
- 鉄道の開通: 1903年に王子電気軌道(現在の都電荒川線)が開通し、町屋駅前停留所が設置されました。これにより、交通の便が向上し、町屋地域の発展が促進されました。
大正・昭和時代
- 大正・昭和初期: 町屋地域は工業地帯としても発展しました。特に繊維工業が盛んで、多くの工場が建設されました。
- 戦後の復興: 第二次世界大戦後、町屋地域は戦後復興の一環として、住宅地として再開発されました。工場地帯から住宅地への変遷が進みました。
現代
- 住宅地と商業地: 現在の町屋は住宅地としての機能が強く、また商業施設も多く存在します。町屋駅周辺には、ショッピングセンターや商店街が広がり、地域の生活利便性が高まっています。
- 交通の便: 都電荒川線や東京メトロ千代田線の町屋駅、京成線の新三河島駅などがあり、交通の便が非常に良い地域です。
文化とコミュニティ
- 地域の祭り: 町屋地域では、地域コミュニティが主催する祭りやイベントが多く行われており、町屋八幡神社の祭りなどが有名です。
- 教育機関: 町屋には多くの小学校、中学校、高校があり、地域の教育環境も充実しています。
町屋の特色
町屋は、長い歴史の中で農村から工業地帯、そして住宅地へと変遷してきました。その中でも地域コミュニティの結びつきが強く、祭りやイベントを通じて地域住民が交流する場が多くあります。また、交通の便が良く、住みやすい環境が整っていることから、現在も多くの人々が暮らしています。
荒川区町屋は、その歴史と共に多様な顔を持つ地域であり、東京都の一部として重要な役割を果たしています。
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