フーテン老人の古都訪問、石岡国分寺跡

渭城朝雨浥軽塵(渭城ノ朝雨軽塵ヲ浥ス)

5月の朝、老人は石岡の国分寺跡を訪れた。

夜半からの雨はいつの間にか止み、新緑に微かな陽光が射し始めている。

しかし元より無精な老人が、わざわざ朝からこの古都を訪れたとは思えない。

その通りだ。

老人は車の6ヶ月点検を受けるために、この古都に朝から呼び出されたのだった。

しかし、老人は転んでもただでは起きない。(別に転んだわけではないけれど)

老人はディーラーのおばちゃんに断りを入れて、早速散策に出かけた。

(常陸国分寺本堂)
(常陸国分寺本堂)

(常陸国分寺本堂)

常陸国分寺跡、ここは石岡市府中

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(都々一坊扇歌堂)
(都々一坊扇歌堂)

(都々一坊扇歌堂)

都々一の坊扇歌

老人はこの坊扇歌という人をまるで知らねかった。

でも、都々逸は少しだけ知っているような気がした。

(この墓地では、都々逸は都々一と表記されているので、以降これに従う)

七・七・七・五の

二十六文字の音数律に従えば都々一の定型にかなうという。

もちろん中身が無ければダメであろう。

「何をくよくよ川端柳 川の流れを見て暮らす」

これは、坂本龍馬の作とされているが、高杉晋作だと言う説もあるらしい。

いずれにしても老人はこの都々一は悪くないと思う。今度カラオケで歌おうと思うが、多分無いだろう。

「三千世界の 鴉を殺し ぬしと朝寝が してみたい」

この作者は高杉晋作だと言う説と桂小五郎と言う説があるらしい。

スケールがデカい。言われたほうも、驚くだろう。

(戒名に坊の字が辛うじて読める坊扇歌の墓)
(戒名に坊の字が辛うじて読める坊扇歌の墓)

(戒名に坊の字が辛うじて読める坊扇歌の墓)

恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす(作者不詳)

立てば芍薬 坐れば牡丹 歩く姿が百合の花(作者不詳)

月並みだが、基本として押さえておきたい。

府中城 松平藩 酒井家

老人はじっと墓の正面の家紋を見る。

これは確かに酒井家の片喰(かたばみ)紋に違いない。

ハート型の三つの葉っぱ。多年草。花言葉は、いろいろ。

生薬としては、酢漿草。

驚くことに「酢漿」をスマホで引くとカタバミが出てくるのだ。

シュウ酸を含むらしいが、老人は試した事は無い。

生命力繁殖力が強いので、縁起物として戦国武将の家紋によく用いられた。

酒井忠次、長曾我部元親、宇喜多直家の家紋となっている。

大名旗本では、出羽上山藩松平氏、出羽松山藩酒井氏がこの片喰紋を用いている。片喰紋は人気がある。

カタバミの葉と花
カタバミの葉と花

さてこの墓にある「府中城 松平藩 酒井家」とはどちら様なのか?

これは、常陸府中藩(石岡藩)の藩主松平氏の家臣「酒井氏」であると老人は勝手に解釈した。

無縁墓

この寺にも、無縁墓を集めて供養をしてある墓があった。

後ろの石群が無縁となった墓石である。

老人は、無縁の墓石が山のように高く積まれた墓地を訪ねたことがある。

老人は、元々墓を訪ねるのが好きなのだ。それは自分の縁故の墓地に限ったことでは無い。

墓地は普通静かだ。人もあまりいない。

墓石を見ながら、戒名や享年をながめていると、何よりも心が落ち着く。

特に暗くなりかけた薄暮の時間がもっとも良い。

かげろふや 塚より外に 住むばかり (内藤丈草)

丈草のこの句が、ここではとても相応しいと老人はしみじみ思った。

この「かげろふ」といふ虫は、羽化して数時間か数日で死んでしまうというのは有名な話しだが、成虫は口が退化していて、死ぬまでせいぜい水くらいしかのめないのだという。

カゲロウ
カゲロウ
カゲロウ
カゲロウ

何という寂しい一生だ。命の繋がりだけを果たすだけの生き物。

老人は、はげしく嗚咽しながら、さらにビールをあおり続けるのだった。

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